椛島からの手紙〜すれ違いの夏

大学1年目の夏休みともなれば、体育会でスポーツに励むものもいて、
研究に没頭するもの(1年目からそんなにいないとは思うが)、
実家に帰ってぼけーとするもの、あるいは海外旅行を計画だてて
あちらこちらを貧乏旅行するもの。まぁーそれだけ自由な時間がある。
 
椛島と僕も例外ではなく、旅行の計画を各々たてていた。
僕らが入部したアメフトサークルは、まぁサークルではあるが
そんな生半可でやるようなスポーツではないし、さらにその年から
一つ上のリーグに上がったため、準体育会ののりだった。
当然、夏休みも練習はあるし、行く前に憂鬱になる辛い合宿も
スケジュールにきっちり組み込まれていた。
 
だからといって、休みの2ヶ月を丸まるアメフトに捧げるほどでもなかった
僕は夏休みの前半、練習を休んで、中国と内モンゴルの旅に出かけた。
あちらこちら工事中で発展途上の上海まで船で向かい、
そこからは硬座の列車で蘇州〜南京〜北京まで、そこからミニバスで
モンゴルへと貧乏ではあるが、かなり贅沢な旅を満喫した。
 
そんな1ヶ月ほどの旅行のあとにまだ1ヶ月の時間があるという
ことも贅沢ではあるが、僕はサボっていたアメフトに戻ることにした。
どーやら椛島は僕と入れ違いでどこかに旅に出かけたらしい。
そういえばベトナムかどこかそのあたりに行くと聞いたような、聞かなかったような。
まぁ、当時の僕らの会話といえば、言ったか言わなかったか分からない
程度だったのだろう。
 
アメフトの先輩からは、まだ構え方もままならない僕に「椛島はものすごい
当たりをしていたぞ」と僕がサボっていた時期の彼の成長ぶりを
話しては、僕にプレッシャーをかけた。別に負けず嫌いではないが
椛島ではなく、目の前のダミーに八つ当たりのごとくタックルしていた気がする。
 
そして、もともと黒い肌をさらに焦がして帰ってきた椛島は合宿に合流した。
身長は高いが足腰の弱い僕や同期は何かと雑用にまわっていた。
練習試合のビデオを撮ったり、ラインをひいたりする。ところが
腰がどっしりと座った椛島はすでにレギュラー格で、前線にいる。
 
最初、椛島のことを「田舎もの」と捕らえていたが、その視点は僕の
勝手な驕りであることに気づかされた。いつも彼の発言に対して
強がった「反論」をしていたが、それ以来、僕にはないものを持っている
男として注目するようになる。
 
(つづく)