情報の時間差

北海道の碓井先生からのメールは面白かった。
 
+全国放送の天気情報なんかで
+台風が関東を通過した状況を
+「北へ去りました」みたいに表現していることがあって、
+「おいおい、東北も北海道もこれから襲われるんだぞお」
+と、その東京中心主義に
+突っ込みを入れたくなったりします(笑)。
 
続けて
1日遅れの新聞、週刊ポストアフターダーク
日本列島の長さに比例して活字メディアの伝達は
方言のドミノ倒しのごとく遅いという悲痛の叫び。
 
かつて海外で一日遅れの朝刊を待っていた
己の姿を思い出す。
1989年の巨人対近鉄日本シリーズの結果も
翌々日の朝7時ごろに届く新聞のスポーツ欄を
わくわく、どきどきしながら
玄関で飼い主を待つ犬のごとく座り込んでいた。
 
そして2週間ほど過ぎたころに
巨人の優勝を告げる臨時増刊された雑誌によって
初めてカラーの写真を目にし
1ヶ月ほど過ぎたころに、日本から送られてきた
ビデオテープによってビールかけで騒ぐ
選手たちのはしゃぎっぷりを確認していた訳だ。
 
この少年体験は今の己に大きな影響を与えている
気がする。というのも目を隠そうが、耳を塞ごうが
やれ日本が勝っただの、やれ巨人が負けただの
あらゆる情報が無作為に入ってくる現代。
世の中のブームにわざと乗り遅れようとすることが
たまにある。今の今まで、この衝動は何が原因なのか
分からなかったのだが、はっきりした。
 
とは言っても、今では地球の裏側ですら電子配信された
データを現地で印刷することで、朝刊は
しっかり当日の朝に手に入るそうだ。しかも、
インターネットの存在が物理と時間の穴を埋め、
時として山となることさえある。北海道の人でも知らない
福岡の情報を、ロンドンにいる人がニューヨークの人と
チャットで話題にしていたりする訳だ。
いい時代になったと言おうか、何と言おうか。
 
むしろ、LPレコードのように
人に応じた情報伝達スピードを設定することが可能であれば
自分は確実にその数値を、時として最遅に設定するだろう。
あの、わくわく、どきどきを再確認するために。
物事には順序があるはずが、情報社会はその過程の味わいを
失っていることにすら気づかせてくれない。
スポーツは生に限るが、今月の[ソトコト]の食教育特集
なんかを読んで、スロウフードに妙に共鳴していたりする。