椛島からの手紙〜免許合宿

序々にモーホーな文章になってきたが、まぁ真相をここで明かすのは
辞めておいて。注目してからの椛島は「怒涛」という言葉がよく似合った。
アメフト1年目で対戦相手が嫌がる選手にまでなり、そしてもっと他の
ことに力を注ぎたいと、サークルを辞めた。何を始めるかと思ったら
「旅」だと彼は言い張った。
 
インドに行ったり、インドから帰ってきたり、再びインドに行ったりした。
そして気が付いたら旅費稼ぎに同性誌の「○ブ」でヌードまで披露
していた。おいおい、そいつは行き過ぎちゃうんかーと説教も込めて
椛島が旅先で撮影した写真を題材に僕が加工して、当時企業が
作り始めたホームページの画像などを提供してはちょとした小遣い
稼ぎをしたりした。
 
大学2年の夏。そんな椛島と運転免許の合宿を同行することになる。
特別免許を取らなければならないという必要はなかったのだが
大学の生協で、何やらパンフレットをあさっている椛島を見つけたのが
きっかけである。免許を取りにいくというよりも、そんな椛島
免許取得合宿に参加できるという、ある種ジャーナリズム的な視点から
同行を志願した。
 
ところは新潟の片田舎、水原自動車学校なる水田に囲まれた合宿所
付き自動車学校へと2人で向かった。合宿所といっても大きな一軒屋の
屋根のもと、男女の受講者が数個の部屋に割り振られ、管理人もいない
至極遊び放題な施設であった。
 
当然、若い男女は暴徒と化し、毎夜毎晩、近隣の住人から教習所に
クレームが入るほどお酒を飲みながら大騒ぎしていた。このような
場所で椛島は人間らしい行動をとる。当然その宴会の輪に入り
逞しい上半身を露にしてはしゃぎ始める。一方、輪に入りたいが
小心ものの僕はもじもじと部屋に閉じこもり、騒がしい隣の様子を
伺っていた。
 
そんな僕に気づいた椛島は部屋にどたどた入ってくるなり、お前も
「来いよ!」と上半身裸のライオンキングは僕の腕を無理やり引っ張る。
抵抗すると「だから駄目なんだよ」と、逆に説教された。その瞬間
当初の田舎者の風貌は微塵もない。「今を楽しく生きるんだ」そんな
まっすぐなメッセージを宴会の部屋に引き返す彼の背中は
訴えていた。
 
(つづく)

椛島からの手紙〜すれ違いの夏

大学1年目の夏休みともなれば、体育会でスポーツに励むものもいて、
研究に没頭するもの(1年目からそんなにいないとは思うが)、
実家に帰ってぼけーとするもの、あるいは海外旅行を計画だてて
あちらこちらを貧乏旅行するもの。まぁーそれだけ自由な時間がある。
 
椛島と僕も例外ではなく、旅行の計画を各々たてていた。
僕らが入部したアメフトサークルは、まぁサークルではあるが
そんな生半可でやるようなスポーツではないし、さらにその年から
一つ上のリーグに上がったため、準体育会ののりだった。
当然、夏休みも練習はあるし、行く前に憂鬱になる辛い合宿も
スケジュールにきっちり組み込まれていた。
 
だからといって、休みの2ヶ月を丸まるアメフトに捧げるほどでもなかった
僕は夏休みの前半、練習を休んで、中国と内モンゴルの旅に出かけた。
あちらこちら工事中で発展途上の上海まで船で向かい、
そこからは硬座の列車で蘇州〜南京〜北京まで、そこからミニバスで
モンゴルへと貧乏ではあるが、かなり贅沢な旅を満喫した。
 
そんな1ヶ月ほどの旅行のあとにまだ1ヶ月の時間があるという
ことも贅沢ではあるが、僕はサボっていたアメフトに戻ることにした。
どーやら椛島は僕と入れ違いでどこかに旅に出かけたらしい。
そういえばベトナムかどこかそのあたりに行くと聞いたような、聞かなかったような。
まぁ、当時の僕らの会話といえば、言ったか言わなかったか分からない
程度だったのだろう。
 
アメフトの先輩からは、まだ構え方もままならない僕に「椛島はものすごい
当たりをしていたぞ」と僕がサボっていた時期の彼の成長ぶりを
話しては、僕にプレッシャーをかけた。別に負けず嫌いではないが
椛島ではなく、目の前のダミーに八つ当たりのごとくタックルしていた気がする。
 
そして、もともと黒い肌をさらに焦がして帰ってきた椛島は合宿に合流した。
身長は高いが足腰の弱い僕や同期は何かと雑用にまわっていた。
練習試合のビデオを撮ったり、ラインをひいたりする。ところが
腰がどっしりと座った椛島はすでにレギュラー格で、前線にいる。
 
最初、椛島のことを「田舎もの」と捕らえていたが、その視点は僕の
勝手な驕りであることに気づかされた。いつも彼の発言に対して
強がった「反論」をしていたが、それ以来、僕にはないものを持っている
男として注目するようになる。
 
(つづく)

椛島からの手紙〜出会い

郵便

昨晩、ノートを1枚ちぎって作った封筒が郵便ポストに届いた。
いらんチラシが散乱する中、その異物は紛れも無く椛島からの
手紙である。
 
椛島は大学時代からの悪友と言えばいいのか
入学当初、体格が大柄であるため当たり前のように
アメフトサークルから勧誘を受けた僕が
その説明会場である教室に尋ねてみると彼はいた。
 
アメフトという競技は良くできたもので
いわゆる女の子にもてる、スラーッと足の長いイケメン
(イケメンではないがアンガールズのような体格)から
ご飯は毎食3回はおかわりします!と言わんばかりの
大柄な体格まで(安田大サーカスの両端と言えば分かりやすい
だろう)あらゆる人種が参加、活躍できるスポーツである。
 
柄でもなくイケメンに必至に勧誘というより
むしろ説得される僕を尻目に彼は既に入部を
決めたらしく、勧誘するわけでもなく教室の片隅を
どーんと数名で陣取っているその大柄な体格の
先輩たちと調子の良いことでも言って笑いをとっていた。
 
そのあと、いくつかのサークルを見学しようと
キャンパスを歩くと、向こうから、椛島に違いない
歩き方で彼はやってきて、僕と目が合うなり
「あ、アメフトの!」と妙に親近感ある表情で挨拶してきた。
僕は「どーも」と無愛想な返事をするが
「待っているよ!」と言わんばかりに僕の
肩をポンポンとたたいて、笑顔で通り過ぎた。
 
もしかしたら、僕がアメフトをはじめる切っ掛けは
文武両道を実践しているイケメンの先輩による
説得ではなく、その肩を叩いた椛島なのではないか
という気すらしてきた。椛島は福岡県出身の九州男子。
別に説明しなくても、男前な足にサンダルでぺたぺたと
蟹股で歩き、どこで売っているのか想像のつかない
土色の衣服と鞄、そして似合っているとはお世辞にも言えない
銀縁丸めがねとしぐさから一目瞭然、田舎ものである。
 
田村亮子が活躍していた同じ県で、彼は柔道に没頭し高校時代は
1人しかいない応援団の団長(そりゃそーだが)を努めたらしい。
何よりも、その活躍ぶりは彼の家にある卒業アルバムの写真から
垣間見ることができる。広い校庭で、全生徒が見つめる中、巨大の
校旗を身体一杯持ち上げていた。柔道部も何故か彼1人。顧問教師と
柔道着の椛島のツーショットが他の団体部活動の写真より
妙に目だった。
 
(つづく)

レッサーパンダソノ後

おいおい。

千葉市動物公園レッサーパンダ風太」の起立姿が話題を集めているが、宮崎市フェニックス自然動物園では、飼育しているレッサーパンダ3匹全部が後ろ足で立ち上がることができ、入園者の人気を集めている。  3匹は、雄のロンロン(9歳)と妻フランツ(4歳)、母リンリン(11歳)。  同動物園によると、ロンロンは1995年6月生まれ。生後1―2カ月で、リンリンとじゃれ合ううちに、一緒に立ち上がるようになった。  フランツはことし3月、よこはま動物園ズーラシア横浜市)から嫁入り。約1カ月後からロンロンのしぐさをまね、餌をねだる時などに起立するようになったという。  3匹を飼育している甲斐のぞみさんは「一家が起立するのは珍しいはず。ぜひ見に来てください」と話している。

 
関係ないが、旭山動物園のホームページは移転しました | 旭川市の存在をご存知だろうか?
北海道の知人に会いに行く序でではなく
旭山動物園を見に行く序でに北海道の知人に会う。
そんな動物園。いつか是非行ってみたい。

レッサーパンダノ考察

立つレッサーパンダが話題を集めているが
第2のタマちゃん探しに余念がないマスコミの産物か、
はたまた動物園関係者の陰謀か、GW突如東京湾
迷い込んだクジラは力尽きて、オラウータン
綱渡りもいまいち。そこに突如、「立つレッサーパンダ
いる」という情報に群がってみたわけだ。
 
今日の特ダネでは、実は立つレッサーパンダ
日本中にいるという事実と、今度は二足歩行の
レッサーパンダがいたというスクープにまで
発展していた。これを見たコメンテーターが
レッサーパンダがいままさに二足歩行の進化の
過程にあるのではないか。数百年後には
カンガルーのように立つのが当たり前になるのでは
などと大袈裟なことを言っていた。
 
一方、カンニングのDVD発売イベントで
同じく二足なのになぜ竹山は人気が出ないのかという質問を
受けた本人は、「あれは餌が欲しいから立っている
だけでしょうが!」と相変わらず切れ芸の王道を見せなが
らも一番まともなことを言っていると個人的には
思う。別にレッサーパンダ騒動を否定するつもりはない。
 
むしろ、子供時代に訪れた上野動物園で一番の
お気に入りはレッサーパンダであった。まー
ここでそんなことを言っても今更感が画面の向こうから
伝わってくるが、当時上野動物園で売っていた
動物カードの表紙がレッサーパンダであったという
事実を覚えている人間はそういないのではと、別に
自慢にもならないことを一人で優越感に浸ってみる。
 
そんな僕から言わせてもらえば、すり鉢状の飼育展示場に
今更レッサーパンダがかわいい!と群がるのは辞めてもらいたい。
どーせ、1年後までその熱を持続させる人はいないのだろうよ。
今まで独り占めできた一愛好家として、迷惑です。

ゴッホとシズル

ゴッホの絵を見るたびに思うことだが
このシズル感が堪らなく好きだ。
いまさらゴッホの絵を誉めたところで
自分の無知を曝け出すようなものだから
やめておくが、あえてゴッホの絵を
シズル感と表現するには理由がある。
絵の具の盛り上がり部分の明と暗が何とも
言えぬ光沢とともに、絵にシズル感を
増しているからなのだ。
 
つまり、どんなに印刷技術が向上し
ウォーホルに雑誌「インタビューズ」こそ
究極の芸術だと言わせようが、ゴッホほど
オリジナルにシズル感を与えている画家は
そういない。そんなことを僕が言った所で、
ゴッホ展の混雑ぶりを見れば一目瞭然なのだが。
まぁ、言いたいだけ、書きたいだけなので
許せ。
 
展示としては、ゴッホの時代背景とともに
影響を受けた、与えた作品、実物も含めて
楽しめる内容。特にオランダ語をフランス語
にして描いたという事実。つまりより
多くの人々に見せることを意識していたことや
中国製の宝箱に敷き詰めた2色の毛糸の塊。
色彩の参考にしていたという事実。
別に知らんでも何ら損をしないようだが。
 
まるで、ビートルズも演奏は下手だったんだなぁ
なんて彼らのライブ映像を見て妙に親近感が
沸いてしまったロックミュージシャンのような
気持になったりした。さすがに耳を切り落とす
まではいかないが、ゴーギャンを迎え入れるため
にせっせと拵えた絵なんかは、もうゴッホ
胸キュンを感じずにはいられない。そんな息遣い
が伝わってくる。急げ。
 
http://www.momat.go.jp/Honkan/Gogh/

お昼の冒険心

今日のお昼はおやじーずとご一緒した。
僕の勤めている会社は総じて若いのだが
クレーム対応など経験値を必要とする
業務には、それ相応の方がいらっしゃる。
  
別にみんながおやじーずと呼んでいるわけ
ではないし、僕も初めてそんな呼び方を
ブログ的という言葉があるかどうかは
知らないが、そして、これが果たしてブログ
といっていいものなかどうかも分からないが、
伝わればいいから、敢えて使ってみる。
 
ものすごく頼りになり、そしてとっても
尊敬できる素敵なおやじーずであることは
誤解がないように補足しておく。仕事っぷり
ももちろんだが、結婚式のスピーチなんぞ
させたら、もうおやじーずの独壇場である。
 
そこでだ、論点はこのおやじーずが
とっても美味しいお食事何処を開拓している
ことだ。丁度、今の新しいオフィスに
引っ越してきて1年が経ち、およそ各々、
お昼のお食事何処レパートリーは固まりつつ
ある頃合だ。
 
だが、何度もこのおやじーずに連れて
いってもらうお店は「こんなところが
あったとは!」とまるでファミコン
裏技でも教えてもらうかのような驚きが
伴う。例えが古すぎたが、そんなお店の
席で目の前に座るおやじーずの勝ち誇った
ニコニコな笑顔からは、ついつい敗北感を
感じてしまうのだ。
 
己に足りないのは何なのか。
美味しいものを嗅ぎつける動物的勘か、
経験値か、それとも心の余裕か。
同じ場所。同じ時間。にも関わらず
何故負けた。情報から探り当てる能力が
持て囃される時代だが、まだまだ年配から
学ぶことは多く、尽きない。