りんごは樹から落ちる。

僕が「NEWTON」を最初に手にしたのは
小学校高学年のころだったか
親父の書斎、といっても
そんな大層なものでなくて
ベッドルームに簡単な机と椅子が
置いてあるだけのものだけれども
その机の上にあった
「月間ゴルフ」なんかの雑誌にまぎれて
赤い表紙に白い「NEWTON」の文字
未来予想図が描かれた紙面を
何度もめくっては21世紀の夢を描いた。
たまーに、今でも
なぜかビジネスコーナーに置き勝ちな
「NEWTON」をぺらぺらと書店で
立ち読みしたりするのだけれど
逆にあのころ描いていた21世紀を
時は過ぎた今、
未だそこから脱することなく
振り返っているような気がしてならない。
気が付けば、もう21世紀なわけで
実現したものもあれば、
していないものもあるのだけれど
どことなくあの未来は
手の届きそうで、届かない。
実現しそうで、実現しない。
そんな微妙な霧がかった
限界なき人類の想像力、創造力の
自由を楽しんでいた。
そんなちょっとした大人遊びを
覗いている少年っといったところか。
子供なのに「大人のふりかけ」食べて
しまったような。
もう元には戻れないぞ、みたいな
妙な勇気みたいなものをぞくぞくと
味わった記憶が懐かしい。
つまりは、竹内均さんがそれだけ
偉大だったってことだ。
子供の頃、プロ野球選手か科学者を
夢見てたいた少年にとって
科学の鼈甲めがねおじさん「竹内均さん」は
永遠に憧れの存在なのです。
ご冥福をお祈り致します。
合掌。