機械と人間

新しいオフィスのトイレは、熱線センサーで照明が自動点灯する。

ある程度、動かないでいるとパッと消えるが故に
「クールランニング」で初めてボブスレーカーに乗った彼らのように、
用を足しながらちょこっとぎこちなく体を斜めに揺らして
電気を点けなければならない不便さはある。

とは言え、人間の動作に瞬時に反応するように仕掛けられた
機械はなんとも素直で、無駄な電気代も削減でき
いわゆる省エネとなる訳だ。

ところが、我が家のマンションの玄関の照明まで
つい最近、熱線センサーになったようだが、こちらはそうもいかない。
「ようだ」と表現したのは、その熱線センサーらしき照明が
いまいち僕の身体の動きにシンクロしてくれないからである。

いや、正確にはシンクロしてくれてはいるらしいのだが
丁度、僕が郵便ポストに手を入れた瞬間
その熱線センサーによって点灯された照明はパッと消えてしまう。
手を戻すと消えた照明は再度点灯する。
まるで、機械に頼る人間を嘲笑うかのような
照明の反抗期は僕の402号室のポストに集中されているのだ。

よほど機械師に良く思われていないのか
複雑な心境の僕に、それが正しいと教えられた機械は
善意で電気を消す。それが彼にとっては当たり前なのかもしれない。
間違いであることを教えてあげたいが、
残念ながら、僕にその術はない。

拉致被害者の家族5人が日本にやってきた。(帰ってきた。)

もし僕が20歳前後のときに、あなたのお父さんとお母さんは北朝鮮人だから
北朝鮮に行きなさいと言われたら、何を想っただろう。
そんな現実を彼らは受止め、両親が待つ日本へとやってきた。(帰ってきた。)

我々が北朝鮮に対して抱いている想いと全く正反対の思いを
彼らは日本に対して抱き、子供の頃からそう教わってきた訳だ。

当事者でなければ分からないその心の中を
僕らは覗き見る事は出来ない。

心の技術師がいて、さくっと回路を切り替えることができればいいのだが
彼らにとって本当にそれは幸せなのか。
むしろ、僕らが正しいと想っていることの方が、僕の家の熱線センサーのように
正反対なのかも知れない。