限られた窓枠の向こう。

Skypeでびゅーしたさくらとお話した。
お話したというより、僕は何故かパソコンのマイクが
壊れていて、音が拾えないので
残念ながら、さくらの声に僕はメッセンジャーの文字で
応えるという異様なコミュニケーション。
 
当然、僕のブラインドタッチよりもさくらの
声の方が反応が早いわけで、僕が文字を打ち込む
微妙な間はさくらの部屋で流れるサラ・ブライトマン
きれいな歌声が埋めてくれる。
異様でちょっと、お互いほっぺたが赤くなる程度の
恥ずかしさもあるのだけど、なんだかおもしろい。
 
そこへ僕のデジオを聴いくれて偶然の出会いから
最近連絡を取り合っている
高校時代の野球部知人から電話が入る。
「ちょっと待って」に対して黙るさくらのいる部屋の音が
右のイヤフォン。携帯電話からの思い出の声が左の耳。
突然の左右の思い出時間軸の歪にシーソーのように
バランスを保とうとあせる自分の脳がおかしかったりする。
 
やはり音って重要だなと思った。
さらには背景の雑音だったり、咳をする音だったり
デジオにも通じることなのだけど、携帯電話にはない音質の追求。
高音質である必要はないのだけど
せめて質感が分かる程度の音質は保ちたいなと思った。
メッセンジャーが既に普及している中で
Skypeが流行るのもそこなのかなと。
 
最後に、最初は照れていたやりとりに
だんだん慣れてきたというさくらの言葉が示す通り
人間の適応能力は優れているし、ジャグリングしかり、
意味分かんないものごとに挑戦することで新しい発見に出会う。
発見することができるってとても素敵なことなんだと思う。
 
お遊びもほどほどに、さくらとお別れしたら
いきなりPIRAMIから帰国してきた藤井さんとこれから
飲むから来なさいという携帯電話メールが入った。
え、藤井さんって誰よと思っていたら写メールが送られてきて、
そこには大学時代、同じゼミに在籍していた院生の懐かしい顔が。
 
なんでPIRAMIが藤井さんを知っているのかというと
藤井さんが僕と出会う前の大学でPIRAMIは同級生だったのだとか。
「はいはい。そーいう繋がりがあったのね。」
と冷静に受け止めている自分が面白い。
最近この手のシンクロはもう当たり前になっている。
 
仕事を切り上げ、渋谷ののんべえ横丁の
いかした小料理屋にPIRAMIと藤井さん
そして藤井さんの大学時代のゼミの先生とその助手さんらと
あたりめでもつまみにビールを飲みながらお話する。
子供を産むことが必然な女性の身体についての話から
子供の話。専門されている建築の話やらゲームの話、
さらにはメディアの話。
 
時代はものすごく変革期に来ている。
ニュースは新聞、テレビではなくインターネットで知る時代。
アメリカではタイムズでさえも無料で配布を決めた。
そこも鈍感な日本人。テレビもここ数十年は何も進化していない。
信頼性の薄い情報がインターネット上で氾濫している今日。
あるべき報道を追及せず、2ちゃんねる並みの
質問しかできない当事者意識ゼロの記者など。
 
今の子供は何でも手に入ってしまうから
ものすごく想像性に欠けている。
つまりは制限される中での想像力と創造力が欠けているそうだ。
我々がファミコンにはまって描いた夢は
リアルなグラフィックスに邪魔されてしまっているという。
 
これは限られた窓枠から外を見ることを許された
我々30歳前後の優れた特権であるようだ。
ならば想像しようや、ならば創造しろや
ということで、またまた元気をもらったいうか
やる気が出たいうか、使命感というか。
まぁ、明日から頑張ろうと思ったわけです。はい。