何も変わらない。

高校同級生との語らい。
12年ぶりの再会から何故か3週連続
週末時間を共にしている田口。
そしてこちらも何故か12月2回目の
再開の圭と六本木で待ち合わせ。
当時、野球部のキャプテンであり
新郎側の列席は野球人口98%という
(会社関係者以外、全員野球繋がり)
分かりやすい結婚式に行ってきた。
 
TATOO TOKYOでのちょっと変わった
結婚式であったが、会場に着くと
野球部同期の4名、宮本、亀、小川、
西賀にこれまた12年ぶりの再会。
皆、髪型も性格も立ち居振る舞いも
何も変わらない。冗談を言うやつは
相変わらず冗談を言っているし、
いじられ役は相変わらず
いじられる。あの当時のままである。
 
そう、残る本日の新郎である村野を
加えて、僕ら獨協高校野球部は同期のみ
では野球に必要な最少人数9人に至らない
8人編成であった。監督の最上級生が
レギュラーという方針もあり
僕らは労せずしてレギュラーになれる
立場でもあったが、僕が言うのも
なんだが、僕らは強かった。
都大会2回戦で油断したゆえに負ける相手では
ない相手に敗退はしたものの、それはそれで
僕ららしいのだが、5回戦(7回勝つと甲子園)
までは勝ち上がれる実力はあったと思う。
 
またタレント性も十分あった。
投げることが大嫌いなエースから始まり、
わざわざ飛ばない木のバットで
公式戦を貫いたキャッチーやら
いつまでもチームに溶け込めず
ガタイがやたらよく当たればでかいが
変化球への弱さまで助っ人っぽい帰国子女など。
お年頃なりに前髪をこだわる僕らは当然
坊主にも反抗し、ピッチャーの目障りになる
からという理由で当時は決められていた
白のテーピングは駄目という理不尽な
高校野球連盟のルールにも反発してた。
メジャー新聞のローカル欄で取り上げるネタ
盛りだくさんのチームでもあったな。
でも野球に対してはまじめに365日×3回の
ほとんどを野球に費やしていた。
 
そうそう、何も変わらない。
本質は変わらない。いい結婚式だったなぁ。
帰りにabcでこれまた身体やら五感やら脳やらの
本を3万円ほど大人買いして、今読み始めた本は
「1930年代のメディアと身体」
一九三〇年代のメディアと身体 (青弓社ライブラリー)
戦争の体験とともにメディアが認知し始めたこと
によって当時の生活がどのように変容してきたかが
綴られている。何も変わらない。本質は変わらない。
当時はラジオ、現代はデジオ
何も変わらない。本質は変わらない。
でも、おもしろい。面白すぎる。
なら収録しろ。編集しろ。アップしろ。
ごめんなさい。何も変わらない。