ミスターが倒れた。

「左の大脳に脳梗塞とみられる画像診断があり、右半身に軽いマヒがみられる」

ミスターが巨人を現役引退した年に僕は生まれた。

そして、香港で「野球がやりたい」と言い出した僕に
1週間後、日本の出張から帰ってきた親父は
そっとミズノの黒の金属バット(原仕様)とアディダスのグローブ(江川仕様)
そして「栄光の背番号3」のビデオテープを
白い練習用ユニフォームの上に置いて、朝起きた僕を驚かせた。

何度そのビデオテープを見直したことか。
決して8歳の少年が心底楽しめる内容ではないのだが
浪曲を歌いだすミスターとか、昔なつかしい床屋で髪を切るミスターが出てくる)
華麗なグローブ裁きと、ヘルメットが吹っ飛ぶ思いっきりの三振。
そして無我夢中にダイヤモンドをスローで駆け抜けていくミスターは
僕にとってのまさに「ミスター」となった。

あれは親父の洗脳だったのか、僕はすっかり香港代表にまで選ばれて
日本に凱旋帰国するまでの野球少年となり、
将来の夢はもちろん「プロを目指します」なんて眼を輝かせたものです。

でも日本代表4番の青木君に一発どはでなホームランを打たれて
マウンドでうなだれる僕、そのうしろをガッツポーズでセカンドベースを蹴る青木君
の写真がスポニチの8面当たりにでかでかと掲載されたときに
現実をまざまざと見せつけられた訳で、そのあと高校野球
ロンドンから単身帰国し挑戦したのだけれど、怪物、帝京三沢と星陵松井にしてやられ
夢は現実から絶望へと消え散ったのであります。

時は大学受験。
SFCしか嫌だとわがままな僕に岡崎京子の漫画をまさか入学試験で読まされるとわ
というカルチャーショックから立ち直ることが出来ず2浪。

両親にいつになったら受かるねんて言われて
「巨人が優勝したら受かるよ」って返した僕。
本当に長島巨人が落合を引き連れて日本一になった翌年の春
晴れて、僕はSFCの学生になったのであります。

僕はミスターのリアルな選手時代を知らない。
でも僕の人生において、その「存在」は偉大なのです。

もちろん、今年のオリンピックを期待していたし、3月28日に行われる
巨人vsヤンキースでの始球式もかなり楽しみにしていた。(外野席だけど)

神様、いるのであればお願いです。
せめて8月には、ミスターに全日本の背番号「3」を着させてあげて下さい。

そして僕の人生の金メダリストに、真の金メダルを与えてください。
(監督に金メダルは与えられないのだが)
ミスターでなければ駄目なのです。お願いです。