最近の考え事。

そろそろ更新しなければと思うが
考えがまとまらなさ過ぎているのでINPUTをそのままOUTPUTする。

【細切れコミュニケーション】
おだっぷからの提言。確かにそう思う。
情報過多の時代、うまく編集できたライフスタイルが
格好いいと称されている。
映画も音楽も文章もすべて断片のつながりになり
さまざまな情報の誘惑を取捨選択し続けなければならない。
今、この瞬間も僕の頭の中は情報の坩堝と化している。

【一億人が暮らす「村」】
米国の親は子供が無罪であることを主張し続ける。
これに対して、日本の親は子供の罪を一生背負う。
ここから「村八分」という文化が誕生した。
だから何だという話だけれども、
この時代背景にテレビの発達と普及によって、
遠くの事件を近所に起こったように報道する
「日本村」的レアリズムが成長した今日。
もちろん現実の日本は「村」でなく、
一億以上の人々が暮らす近代国家で経済大国である。
ということは、この「日本村」は共同体幻想である。
拉致、人質、年金、小学生殺人などなど時事問題、
事件の報道のされ方とそれに反応する世論。
その責任の矛先は親に辿り着くが、それを反論する
西洋的文化が同情したりしている。
結論が出ぬまま、その出来事は身近で無くなり
かつては誰もがしていた磁気ブレスレットのごとく
消化し、皆忘れてしまうのだ。
でも、時は繰り返されるもので、
ほら、ファイテンなんかはその象徴的存在なんだと勝手に
思ったりしている。

【読書】
『だれが「本」を殺すのか 上・下』 佐野眞一著 新潮社
今、読んでいる本。
何だかんだ言って、皆本屋さんが好きである。
でも、お気に入りの街の本屋さんは
大型店に食い潰され、店舗数は減り、売場面積は
意味も無く拡大している。
欲しい本がなかなか手に入らない
軟弱体質の流通も手伝って、実に4割もの本が消費され
ずに返本されている現実。
それでも、無駄な書籍は印刷製本され続ける。
理想と現実が混在し、誰も手が付けられない。
へー、ジュンク堂って親父の名前をさかさまにした
だけなんだ、なんてまったく意味の無い薀蓄なんかも
逐一収録されており、素直に面白い。
僕のお気に入りの本屋さんが出来る、もしくは
創造できるときはいつの日になるのか。

【仕事】
昨日夜、商品販促の先輩といつものように
夕飯という名のホッピー飲みをした。
施策を考えても、実行してくれない店舗。
効果が出ない原因は運営力の低下。
だから人事は駄目なんだ。
だから人事は駄目なんだ。
だから人事は駄目なんだ。
だから人事が駄目なんだ。
なんて一方的な会話だった。
確かに、その通り。
クレームは期待の裏返しと捕らえ、頑張る事とする。