日常と非日常

被災地にも陽は降り注ぐ。
地割れのコンクリートにも。
飛び出したマンホールにも。
倒れかけた電柱にも。
人は人を愛し、ときとして憎んだりするけれど。
その身体的な出会いから新しい生命が生まれ
そして新しい人生(ものがたり)は綴られる。
天災は時として残酷であるけれど。
その繰り返しが自然の恵みの糧になっている。
自然の摩擦が生命の源なのだから。
便利で豊な世の中なのかも知れない。
でも便利って何?
豊って何?
幸せって何?
血と汗と涙で築き上げた宝物は一瞬にして崩れ落ちる。
人はその崩れ落ちた残骸を広い集めてまた築き上げようとする。
もと通りにするために。
まるで、子供のころ壊した蟻の巣のよう。
どんなに壊されようとも彼らは必死に日常に戻る努力をしていた。
日本海は相変わらず冷たいし、厳しかったんだ。
振り向けば東から大きな満月が、白波を照らし始めたんだ。
 
被災地にも雨は降り注ぐ。
地割れのコンクリートにも。
飛び出したマンホールにも。
倒れかけた電柱にも。
人は笑ったり、泣いたり、騒いだりするけれど。
その心の通い逢いから新しい感動が生まれ
そして新しい人生(ものがたり)は綴られる。
雨降って地固まるとはよく言ったものだけれど。
日ごろの汚いものも全て洗い流してくれるかのよう。
生きていく上で「忘れる」ことは大切だから。
合理的で効率的な世の中なのかも知れない。
でも合理的って何?
効率的って何?
心って何?
我々はどこからずれてしまったんだろうと考えようとする。
人はときとして非日常になることが必要なのかも知れない。
忘れたものを取り戻すために。
まるで、イラクを攻撃したアメリカのよう。
どんなにベトナムで痛い経験をしようとも彼らは必至に権力を誇示しようとしていた。
被災地で親子のバトミントンを見たんだ。
今まで見た中で最も素敵で、力強いバトミントンだったんだ。