5回目の田舎時間2/26(土)-2/27(日)

米発酵

おいしいものを食べたい。これは素直な人間の欲求である。しかし、
都市でおいしいものを食べるためには、食材に対する情報が貧弱な
ために、形の綺麗なもの、程よく大きなものから消費されていく。
どのような土で、どのような水で、どのような気候で、どのような
人によって造られてきたのか知る由もない。形が整って、色艶が
よければそれがおいしいんだという都市消費者の妙な先入観が、
(自分もそうなのだが)あらゆるスーパーにおける購入の意思決定を
左右しているような気がしてならない。
 
果実は冬の寒さと夏の暑さの温度差が大きければ大きいほど甘みを増す
ということはよく耳にする。さらに、雪国は自然を排除できない故に
いわゆる都市化が進んでいない。その分、都市にはない生活の智慧が代々
受け継がれてきたわけだ。
 
今回の田舎時間は雪国の寒い中、1人モクモクとしたこだわりの作業。
脚立の足場を腿ほどに積もった雪にしっかりと埋め込んで、体重がかかっても
びくともしないことを確認してから最上段まで上る。見上げると空から降り続ける
柔らかい雪と、じっと寒さに耐えて春を待つさくらんぼの無数の芽。こいつを
一つ一つ葉っぱの蕾の回りの芽を2、3残して両手の人差し指で摘んでいく。
1時間ほどすると長靴を履いたつま先あたりからじわじわと氷が当たっている
かのような痛みがしてくる。
 
これでも温暖化は確実に進んでいるという。果実に最適な気候は北上し、
気づけば地球上の植物は毎日2種づつ絶滅している。日本の民芸品と同じく、
代々受け継がれてきた智慧は当然そこで崩壊してしまう。日々、モクモクと自然と
の対話から語られる環境問題。そのものが農家にとっては死活問題であるから
こそ、どんな科学者よりも説得力が増す。そんなお話を脚立の上で今回の受入を
して下さった漆山さんと交わしながら、モクモクと「芽かき」を続ける。
 
一転、作業を終えての漆山家のお母さんの迎い入れはとても温かい。
ここにも、食材から作り出された料理の智慧がある。相変わらずうまいものを
心から「うまい」と頷く。味噌はスーパーに行けばワンコインで買える時代。
しかし米を発酵させて、手間隙かけた自家製の味噌をわざわざ造る。昔は
みんな当たり前のようにそうしていた。ところがそれを知らない我々にとっては
とても新鮮なのだ。さらには、その新鮮な味が日頃口にしている味噌との
違いに気づかせてくれる。
 
そして、夜の交流会に集まる人々。それぞれの食材は個性なのか、日頃の
宴会慣れなのか。話し合いすることなく役割分担がものの見事になされている。
わいわいがやがやと自然と笑い声があちらこちらからしてくる。この温かさ。
自然の厳しい寒さからの反動なのかもしれないな。用意頂いた食材の甘みを
腹いっぱい味わいながらそんなことを思った。
 
上山から戻ってきて4日後、めずらしく東京に雪が3、4センチほど積もった。
たかだかそれだけの雪に報道は大雪だと加熱し、会社からは早く帰るようにと
異例通達が出た。雪道に慣れない足取りで灰色のコート群が帰宅する中。
「消費者はもっと勉強さんなね(する必要がある)。」と雪国の脚立の上で
聞いたそんな熱い言葉が脳裏に蘇った。